とあるお宅の倉庫サイトのブログ 【最近:自分の創作におぼれている!▼】
カテゴリー「雑記>はいよるこんとん」の記事一覧
- 2024.11.23 [PR]
- 2006.07.02 語られ続ける英雄譚の裏には語られることのない悲劇が在る
- 2006.07.01 光を欲して闇になる
- 2006.06.24 無知が愚かでなく、知を拒む事をして愚かと云う
- 2006.06.08 猫猫鼠捕り鼬が追いかけた
- 2006.06.08 磯の上に生ふる馬酔木を手折らめど
- 2006.05.21 イチゴ用スプーン、とは。
- 2006.05.19 話の路線がずれる
- 2006.05.18 宇宙は必ず何処かでバランスを取っている。
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「悪」という言い方が嫌いだ。
相手を肯定する意味が少ないからでもあり、自身を棚に上げたような言い方だからでもあり、凝り固まった見方の印象を受けるからでもある。
善の隣には悪が在る。悪が無いと善は成立しない。
「悪は善の唯一の存在理由なのだ」、と言った人も居た。確かに、善では悪の唯一たる存在理由にはなり得ないように思われる。
悪に仕立て上げられた悪者の言葉など、たとえどれだけ間違っていようが正しかろうが人間はそうそう聞く耳を持たない。
其れが無性に悲しい。
相手を肯定する意味が少ないからでもあり、自身を棚に上げたような言い方だからでもあり、凝り固まった見方の印象を受けるからでもある。
善の隣には悪が在る。悪が無いと善は成立しない。
「悪は善の唯一の存在理由なのだ」、と言った人も居た。確かに、善では悪の唯一たる存在理由にはなり得ないように思われる。
悪に仕立て上げられた悪者の言葉など、たとえどれだけ間違っていようが正しかろうが人間はそうそう聞く耳を持たない。
其れが無性に悲しい。
傍で見ていることを「見守っている」ととるのか「見殺しにしている」ととるのか、では違いが大きすぎる。
見捨てれば、否定になる。
手を貸せば、肯定になる。
ただそういう範疇ではなく、見捨てるのでなく、手を貸すのでなく、見ていることは、何より優しい心遣いであり、何より突き放した厳しさであり。
その思考について、もしかすると。
普通なら何か思うのかもしれない。
だが生憎普通ではない。
見捨てれば、否定になる。
手を貸せば、肯定になる。
ただそういう範疇ではなく、見捨てるのでなく、手を貸すのでなく、見ていることは、何より優しい心遣いであり、何より突き放した厳しさであり。
その思考について、もしかすると。
普通なら何か思うのかもしれない。
だが生憎普通ではない。
見すべき君がありと言わなくに
大伯皇女 が「万葉集」に詠んだ歌。
そんな訳で、「見すべき君が」。
それが以前のブログ跡地の名前。
「岩場の荒れ果てた所に馬酔木の花が咲いています。
手折ってまず見せたいと思うあなたはもう、
この世にはいないのですね」
そんな訳で、「見すべき君が」。
それが以前のブログ跡地の名前。