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とあるお宅の倉庫サイトのブログ  【最近:自分の創作におぼれている!▼】

   
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帷を染め往く白
弱体化
ロックマン:ファイヤーマン(JPG

ちょっとした穴埋めも兼ねて変人撒き散らし。
いわゆるMurmurというやつです(何故英語)
不快になりたい人は追記から。

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一応注意はしておくと
本気で変態の変人なんだ!すまんね!
しかし変態だからといって、別にR18的な話があるわけではない。















何だか唐突にマゾヒスト性が出てきた(…)
凄い勢いで否定されたい(……)
とか思ってたら、引っ掛けとはいえ本当に出会って俺歓喜(………)

とまあ、3行でドン引きされたところでお喋りでもしましょうか。
あ、残念ながらわしは相変わらずだいすきです(私信)(…)
凄い勢いで変人変態根性が抜けません/(^o^)\オワットル
人として軸がぶれているってレベルじゃねーぞ!

負の感情を微塵も出されない方が、実は恐怖だったりする。
怖いと思っても言わないとか、すっきりしなくても涼しい顔してるとか
そういう意思と行動の食い違いが、
他者である存在として恐ろしいなあ、と思うことがある。
うそは嫌いじゃないけど、眉を蜂の字に曲げて、目元真っ赤にして、
しゃがれた声で「だいじょうぶ」「何でもない」なんて言われると困る。
「つらい」「いやだ」ってマイナスのことばを言われた方が気が楽なんだよなあ。
もっともそれは一種の弱みだから、誰だって見せたがらないけども
仮にそれを言われるなら、相手はこちらに何かを求めていると思ってる。
まあ、それは置いといて。

誰か、何かを熱く語ってくれないか。
自分と違う思いを聞きたい。俺という世界が別世界を渇望してるんd(…)
否定されたいのもそれから来てるのかもしれないなあ
自分と違うことにもっと接触したいなあ
だがしかしサイトは引き篭もりから抜け出せない(……)

人の配慮や心配をことごとく裏切る自分の感性は損だなあ、と思います。
いやな気持ちになったでしょう、という類のことを言われた時に、
いやな気持ちだったことが、ここ数年まったく無い。
おかしいぐらいに広がった自分の守備範囲に、逆に相手が心配になるくらいだ。
もっとどーんと来ちゃえよー!とか、本気で平気なんだぜ☆とか
結構そういうノリでドントコーイな体制なんだが
相手がそれを納得するかは別の話だから、自由意志な訳で
意思と意思と意思と体の足並みをそろえるの、大変なんだよなあ
人間には三つの思考回路があって、いつも会議をしているというけども
3つの内の2つですら意見が合わない状態も多いもんなあ
何かする自分がいたとしたら、それを冷めた目で観察する自分がいて、
さらに横から囃し立てる自分もいるわけだ。一人上手だなあ脳は(…)
更に、体に至ってはそういう意思に翻弄されながら動いているわけで
悲しいと一人が泣かせ、おかしいと一人が笑わせ、それに残りが疑念を投げかければ
体はそれらを忠実に再現する、と。大変注文の多い料理店ですね(……)
自分が平然とした顔でいると、自分がそう思うのと同じように、
「本当はいやなのに、無理に涼しい顔してるんじゃないか?」
という疑念を絶対に相手から持たれない、とは言い切れないんだよなあ。
まあ、あらゆる可能性はどんな事象にもありますけども、
けれど、数少ない心配してくれる人の心配に、
杞憂だよ、大丈夫だよ、心配要らないよ、と説けるほど
自分の人間は善人に出来ていないようです。色々と残念すぎる。




お世話になっている黒さんとのお話のさなかに考えたことをば。
相も変わらず角が立つ内容かもしれないので、お疲れのときは非推奨にて。
「ひすいしょう」と打ったら「非水晶」と出すうちのぱそこちゃんが
自分を物語っているようで ものすごく いやだ。

---

個人でなく、不特定多数のいろんな人に好印象を持たれるような人間になりたい
…というひとが増えているかも?ということについて。
「いいひと」と思われたい、ということなのかなあ、と勝手に解釈しつつ、そんな人に
「誰かが「『いいひと』は『都合のいいひと』あるいは『どうでもいいひと』と同じだ」って言ってたよ」
…と言って夢をぶち壊してみたいなあ、という、ちょっとした衝動(…)
どう考えてもただの最低な人間です本当にありがとうございました
ワタクシは変な人としていきたいと思います。

「「好印象をあたえる」「愛される人になる」「嫌われる話し方」みたいな本」の話題もあったのですが
あの手の本は、本当に使えるのかというと正直五分五分なような気が。
「筆者に」好印象を与える本、でしかない気がしてならないのです。
そうでなくても、普通のことしか書いてなさそうだなあ。
普通のことしてたら、普通に普通の印象を持たれますよね。
角が立つから、好まれたり嫌われたりするわけですし、
だから全員に好かれようなんてまず無茶なのですが。人間の志向は十人十色。
仕切り屋とリーダー格って、同じような物だと思うのです。
短所も長所も、絶対裏返せるようになってると思うのです。善悪美醜は主観的なものなので。

ワタクシとて人間なので、やはりいい目にはあいたいですが(…)
別にいい目にあわなくてもいいや、とも同時に思ったりはします。
誰かに嫌われるということは、その誰かが他の誰かを
(それはその人自身であるかもしれないけれど)好きだってことじゃないかなあ、と
そんな風に思ってるので、大丈夫大丈夫、と自分に言い聞かせつつ
やっぱり、ちょっと自分の非を探したりもしますが。

誰かに「好かれる」から誰かを「好き」なんじゃなくて、
自分が「好き」だから誰かを「好き」なのでないと
誰かに「好かれなくなった」時、誰かを「嫌い」になってしまうかもしれない。
逆に、誰かが「好き」でその人に「好かれたい」としても、
その人に「嫌われた」らその人を「嫌い」になる、というのは
ただの意趣返しのような気がするのです。
どんな人からも好かれる人間になりたいという願望があったとしたなら、
その正反対の、全世界どんな人間からも嫌われてる、という状況くらい
簡単にちょっとシミュレートしたって悪くないと思うのです。
人間がずっと同じことしか考えないなら、この世に心変わりなんて言葉はありませんしね。

相手を思ってすることが、必ず相手にとっていいこととは限らないし
ましてや、相手は何をされたら嬉しいのか、なんて
ぜんぶを理解することは永遠にできないわけで(ちょっとは解るかもしれないけれど)
結局、「こうしてほしい」と相手が言ったことでしか、望みの確かな意志が解らないし
分からない末は「自分が」されて嬉しいかもな、と思うことばかり「勝手に」やってしまうものでして。
その自分勝手なことも、上手くいった時にしか、人は「思いやり」と呼ぼうとはしないですし。
失敗したら、それはただの「余計なお世話」なんですよね。
「思いやり」も、人に言われて意味のあることばなのかもしれないですねえ。

---

で、「好きがゆえに相手に構いすぎて、相手の時間を取っちゃったなあ」
…という反省もありつつ、
「相手が此方を嫌いだったら、相手にとっていいことは何も無かったかもなあ」
…という、絶対答えのない事象に対する興味というか。
人の心はむやみに覗いちゃいけないサンクチュアリです(…)
自分じゃないんだから、自分が考えたって絶対間違いがあるはずだし
そもそも「もしも」と考えること自体が机上の空論なのですが、
そうやってわかってても、こんな風にうじうじと考えてます。
頭のど真ん中で理論を並べても、頭の隅っこで首を横に振っている時もあります。
理屈抜きでの、気持ちの問題ですけども。


関わりたくない人相手にはきっと、こんなに真剣に考えはしないから
やっぱり、どう在ってもどう転んでも、たったひとりの存在が、これほどまでに
大きい存在なんじゃないかなあ、と思うのです。
  
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