とあるお宅の倉庫サイトのブログ 【最近:自分の創作におぼれている!▼】
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宇宙は必ず何処かでバランスを取っている。
時折、自身でさえ不思議なほどに心惹かれるものというのが存在する。
それは音楽を聴いていたりだとか、美術品を鑑賞していたりだとか、
少し立ち止まってみたりだとか、そういうふとした時に予兆も無く訪れたりする。
そうしてそんな感情にみまわれた場合、しばしば涙が溢れる。
それは単なる「感動」という言葉で片付けられるほど安っぽくて薄っぺらい
簡単な感情ではないのだが、残念なことに丁度正しく表現できる
言葉も表現も自分の中には存在せず、酷くもどかしくなる時もある。
多分これからもそんな言葉は見つからず、創られることは無いと思う。
言葉に出来ないから、身体が別の方法でそれを表現しようとする。
だから涙が溢れるのだと、何とはなしにそう考えた。
たとえば小学生の観察日記のように地面に花の種を蒔いてみると、
芽が出て、根を張り、茎が伸びて、葉が大きくなって、つぼみが膨らんで、
花が開いて、やがて散って、実を結んで、其処からまた種が残る。
長い一生の中で、植物は決して自身から進んで無駄なことをしようとはしない。
毎日黙々と―植物だから喋らないのは当然だが―枯れる時まで
「種族が」生きようとしている。個人で生きようという考えは無いらしい。
もっとも、そうでなければ今現在存在することがかなわなかったのかもしれないが。
そういう意味で、植物は生きることに対して正直だ。正直な姿は真っ直ぐで綺麗だ、と思う。
作った美しさを上乗せすれば、確かにさらに美しくなるかもしれない。
けれど何かを隠されているというのは何処か偽られているようで、
決してよい気分にはなれない…少なくとも自分は、だが。
真っ直ぐなものは真っ直ぐ進み、そのまま真っ直ぐに届く。それは一番解りやすい。
曲がりくねった道を辿って目的地に向かうより、
最短距離を真っ直ぐ進んだほうが何より単純で間違えることも無い。
確かに真っ直ぐばかりでは単純作業のように感じて飽きてしまうかもしれないが、
いつも毎度毎度のように精巧な迷路を迷いながら進むよりは遥かに楽で、
たまの息抜きに真っ直ぐで簡単なものがあってほしい。
疲れた身で迷路などする気にもならないが、
遥かに続く真っ直ぐな道はどんなに元気でも走る気を失くさせる。
何事もほどほど、いい加減が一番だ。「いい加減」は「好い加減」なのだから。
だからと何が言いたいわけではないが、
現代に生きるひと達がそういう真っ直ぐなものに心惹かれるということは、
最近難解な迷路ばかり解いているからかもしれない。
…もちろん、自分も含めて。
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