とあるお宅の倉庫サイトのブログ 【最近:自分の創作におぼれている!▼】
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憧れたふたつと無い存在は六万と
何だか最近いろいろありますねえ
あちこち立ち寄った影響で二次創作とか色々考えてたら
真剣に考えたり話がそれたりで何だか脳内が渾沌としてきた
よく分からなくなる前に、思うことは思ってみようと思います。
いろんな方が書かれるような読み易い文章ではないのはご了承願いつつ。
本当に大した考えは持ってないのです。
寧ろ皆さまの真剣な考えに自分の甘さを感じて閉口
人間が未熟でいかんなあ、と自分にやれやれと息を吐いたほどで。
長くなったので切り離してみる。眠くなりたい人はどうぞ。
意見が合致しない人がいないとは思っていないので
とりあえず前置き。
わしは基本世界観もえの人間なので、原作も二次創作も含めて
ぜんぶ別個の世界なのかもしれないなあと思っとる次第でございます。
世界というとちょっと大げさに聴こえそうだけども、
価値観というか、善悪美醜やらそんな感じの主観が混じるものは
それを考えた主が絶対の根本になるわけで、
たとえば原作なら原作を大切にするという選択肢がそれで、
二次創作ならそれぞれの解釈や俺設定やらそういう。
もちろん原作ありきの二次創作だし、自分と違う世界のことであるからして
原作であろうと二次であろうと、誰かの世界を見聞き話し、とする時には
その世界を尊重してるつもりではいるのですけども。
原作とも別、それぞれ他の二次創作とも別、ならばそりゃなんだと聞かれたら、
原作を一人の人間が見た視界みたいなもんなのかなあと、ふと。
視界は感覚の大半を占めるというから、
そういうことっぽそうだなあなんて思い始めたりもする。
二次創作俺設定はとどのつまり「俺の世界」なのだから
それだけに関しては原作との違いも寧ろ面白いとすら思う。
自分の世界になしえないもの、であるからか。
郷に入りては郷に従えと言うか、何というか
その人の世界にはその人なりの解釈や設定付けがされているのだから、
原作と違うから、とその世界を否定する思考はあまり無い。
「○○さんちのロックマン」、みたいなノリかもしれない。
問題となるのは個の性質ではなく唯記号としての数量(SH)なので
どっちも数としてはひとつひとつの世界。
わしの場合は原作の穴埋めやこじ付けが勝手に脳内再生されるので
原作に、悪く言えば空白や綻び、良く言えば想像の余地、があれば
其処を勝手に縫い繋げたり付け足したりする感じが多い。
かと思えば同時に、同じ原作の同じ部分でまったく違う解釈もしたりと
かなり自由にやってるので、その辺りはなんとも。
二次は「こういうのもアリじゃない?」にとどめるのがいちばん気楽。
「こういう設定があっても面白い」と設定を付け加えることがあっても、
「そういう設定がなくても面白い」とまず原作に思えることが
二次創作においてのいちばんの大前提なんだろうなあ。
たとえば、原作嫌いな人が
「これなら好きになれる」と言えるまで改変したとして、
どういう規模の改変であれ、それはその原作の面影がある限り
二次創作と言っても差し支えはないのかもしれない。
しかし、見る影も無く、掠りもせず、原作を否定しすぎるのならば
二次創作ではなく何か別のくくりであるような気もする。
(原作の面影をとどめるのか全く見る影もないのかは人に因るが)
原作を否定する、は自分も全くやってないとは言い切れないので
偉そうなこと言える人間ではないのですが。
(俺設定自体それに片足突っ込んでるようなものだし)
自分のものの考え方も、誰かに凄く同期しながら、
実は同時にどこかで凄く客観的なのかもしれない。
考え事するとお茶が進まないのはなぜだ。
集中してるのだとしたらいいことかもしれない。
絵茶に関してのお話もちらほら見かけるのだけども
PCスペックとかもろもろの問題でほぼ参加できてないので
わしが何か言えるかといったら全く言えなかったりする。
一回は必ず切断されるひどいスペックで泣けるぜ!
いつか玉砕覚悟でどこか入ろうかなあ チキンだけど!
とりあえず前置き。
わしは基本世界観もえの人間なので、原作も二次創作も含めて
ぜんぶ別個の世界なのかもしれないなあと思っとる次第でございます。
世界というとちょっと大げさに聴こえそうだけども、
価値観というか、善悪美醜やらそんな感じの主観が混じるものは
それを考えた主が絶対の根本になるわけで、
たとえば原作なら原作を大切にするという選択肢がそれで、
二次創作ならそれぞれの解釈や俺設定やらそういう。
もちろん原作ありきの二次創作だし、自分と違う世界のことであるからして
原作であろうと二次であろうと、誰かの世界を見聞き話し、とする時には
その世界を尊重してるつもりではいるのですけども。
原作とも別、それぞれ他の二次創作とも別、ならばそりゃなんだと聞かれたら、
原作を一人の人間が見た視界みたいなもんなのかなあと、ふと。
視界は感覚の大半を占めるというから、
そういうことっぽそうだなあなんて思い始めたりもする。
二次創作俺設定はとどのつまり「俺の世界」なのだから
それだけに関しては原作との違いも寧ろ面白いとすら思う。
自分の世界になしえないもの、であるからか。
郷に入りては郷に従えと言うか、何というか
その人の世界にはその人なりの解釈や設定付けがされているのだから、
原作と違うから、とその世界を否定する思考はあまり無い。
「○○さんちのロックマン」、みたいなノリかもしれない。
問題となるのは個の性質ではなく唯記号としての数量(SH)なので
どっちも数としてはひとつひとつの世界。
わしの場合は原作の穴埋めやこじ付けが勝手に脳内再生されるので
原作に、悪く言えば空白や綻び、良く言えば想像の余地、があれば
其処を勝手に縫い繋げたり付け足したりする感じが多い。
かと思えば同時に、同じ原作の同じ部分でまったく違う解釈もしたりと
かなり自由にやってるので、その辺りはなんとも。
二次は「こういうのもアリじゃない?」にとどめるのがいちばん気楽。
「こういう設定があっても面白い」と設定を付け加えることがあっても、
「そういう設定がなくても面白い」とまず原作に思えることが
二次創作においてのいちばんの大前提なんだろうなあ。
たとえば、原作嫌いな人が
「これなら好きになれる」と言えるまで改変したとして、
どういう規模の改変であれ、それはその原作の面影がある限り
二次創作と言っても差し支えはないのかもしれない。
しかし、見る影も無く、掠りもせず、原作を否定しすぎるのならば
二次創作ではなく何か別のくくりであるような気もする。
(原作の面影をとどめるのか全く見る影もないのかは人に因るが)
原作を否定する、は自分も全くやってないとは言い切れないので
偉そうなこと言える人間ではないのですが。
(俺設定自体それに片足突っ込んでるようなものだし)
自分のものの考え方も、誰かに凄く同期しながら、
実は同時にどこかで凄く客観的なのかもしれない。
考え事するとお茶が進まないのはなぜだ。
集中してるのだとしたらいいことかもしれない。
絵茶に関してのお話もちらほら見かけるのだけども
PCスペックとかもろもろの問題でほぼ参加できてないので
わしが何か言えるかといったら全く言えなかったりする。
一回は必ず切断されるひどいスペックで泣けるぜ!
いつか玉砕覚悟でどこか入ろうかなあ チキンだけど!
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